まず、陸さんが長野の義父に電話。
そばに義母もいるようでした。
「お母さんはショックで絶句してる」と義父。あたりまえだよね……
ちいさくて華奢でかわいくて、いつでも優しいお義母さん。
どれほど悲しい顔をさせてしまっているだろうと想像すると苦しい。
お義父さんは最後まで遮らず聞いたあと、なにより先に「それで、まみさんの体は大丈夫なのか」とわたしを気遣ってくれました。
その優しさが嬉しくてつらい……こんなことになって悲しませてごめん、と謝る陸さん。
「もちろんショックだけど、どんな決断でも全力で支えるから。」
ふたりでよく話しあって決めて、とお義父さんは言ってくれました。
大丈夫と背中を押すような、どっしりと力強い声。両親の離婚で学生時代から父と会わずにいるわたしにとって、お義父さんの存在は本当に大きいです。大好き。もちろんお義母さんもね。
***
次に、わたしから静岡の母に電話。
ちょうど「みかんまだある?また送ろうか」なんて日常のメッセージが届いていて、通話がはじまっても悲しい話だなんてまったく想像もしてない空気で……あたりまえなんだけど……
今からノーガードの母を正面から殴らなきゃいけないんだ、と思うと、息が苦しかった。
健診に行ってきたんだけど、そこで異常が見つかって。
そう切り出すと、母の相槌のトーンが一気に変わりました。
水頭症と髄膜瘤のこと、胎児手術のこと、わたし自身もいろいろ聞いたばかりでごちゃごちゃになってしまって、結局は途中から陸さんが代わって説明をしてくれました。
「(悲しませて)すいません。」と、母にも謝る陸さん。だれも悪くないのに。
産んで育てるつもりだと伝えると、母は少し考えたあと、「堕ろしたほうがいいと思う」と、はっきりそう言いました。苦労を背負うことはないでしょう。と。
即座にその結論を出すなんて冷たい、残酷なようにも聞こえるけど、ほかのみんなが【赤ちゃんの】父として、母として、祖父母として話すなか、母だけは【わたしの】母として、わたしのことを見ていました。
たったひとりの大切な娘が、障害児の親として苦労と深い悲しみを背負うなんて。
母親として反対する気持ちは、同じく女の子の母になったわたしにもわかる気がします。
わたしを思ってくれているからこそ。それはわかる。わかるけど……泣きじゃくり言葉にならないわたしに代わり、陸さん。母の気持ちもきちんと汲んだうえで、
「それでも中絶は考えられないんです」
「少しずつおなかも膨らんできて、胎動もわかるようになって……」
「毎日本当に嬉しそうだったまみちゃんをずっと見てきたから、堕ろそうなんてとても言えない」
「産まれてくるのがどんな子であっても、僕は絶対にしあわせです」
涙まじりの声で、でも、迷いなく言ってくれました。
なんて頼もしくて、優しくて、愛情深いひとなんだろう。
おなかの赤ちゃんも「ねえ大丈夫?」と聞くように動いています。
わたしが泣いているのがわかるの? 心配してくれてるの?
その力強さに背中を押され、なおも反対する母にわたしも、
「でも、かわいいんだよ……」
やっとのことでそれだけ言えました。
たったひと言のことだけど……昔から本音を伝えるのが怖くて、母にも意見したことのないわたしからしたら、ものすごく勇気。
心配してくれているのはわかる。堕ろすべきという意見もわかる。
それでも、こんなにかわいい子を諦めるなんて絶対にできない。
「がんばる。がんばりたい」
たどたどしく頼りない言葉だったけど、気持ちが伝わったのでしょうか。
「わかった。どうするかは、あなたたちふたりで決めなさい」
と、最後は母も言ってくれました。
「どんな子だってかわいいよね。」
昔を懐かしむような声。
それは娘への言葉ではなくて、同じ母親としての。
新米ママのわたしを認め、応援するもののように聞こえました。
【20w0d】再検査、胎児手術の提案(4)

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